ベンツと煙草

コピペで面白いやつ。

2人の会話で、AさんがBさんに煙草を吸っても良いかどうか聞いた。

Bさんは許可した。その上で、少し説教しようと考えた。

A:煙草吸ってもよろしいですか? 
B:どうぞ。ところで一日に何本くらいお吸いに? 
A:ふた箱くらいですね。 
B:喫煙年数はどれくらいですか? 
A:30年くらいですね。 
B:なるほど。あそこにベンツが停まってますね。 
A:停まってますね。 
B:もしあなたが煙草を吸わなければ、 
C:ちくわ大明神 
B:あれくらい買えたんですよ。 
A:あれは私のベンツですけど。 
B:誰だ今の

この、ちくわ大明神というのは特に意味がない様だが、Aの最後の台詞に対して最もかっこよく(面白く?)返すBさんの台詞を募集したところ、

Cさんが突然登場したのだ。

よ~く読んでみると、後からじわじわ来る。

 

 

ユーリ・ショカルスキー

アレクサンドル・プーシキンの雇用主であったアンナ・ペトロヴナ・ケーンの孫であるショカルスキーは1880年に海軍学士院を卒業し、ロシア帝国海軍で経験を積み、セヴァストポリ海洋研究所の設立に関与、1912年に中尉の座に上り詰めた。この時彼は陸水学と気象学に傾倒し、300の以上の論文を著した為、多産の学者としても知られる。

アメリカ議会図書館の上左側にあるショカルスキーによる1912年のロシア帝国の地図 彼の最も著名な論文は1917年発表の「海洋学」である。この論文は気象学と水文学を結びつけ、気候観測を理解する為の海洋現象観測の重要性を説いた。そして、彼は陸水学と水文学の相違を作る事を説き、世界の大洋という用語を作った。

片岡直温

小学校教員、郡書記、滋賀県警察部長を経て1880年に上京、伊藤博文に知られその縁で内務省に入省。1889年に官僚を辞し、弘世助三郎に日本生命保険会社の実務を任せられ、創立時に副社長に就任。日本生命初代社長鴻池善右衛門に続き、1903年より1919年までの17年に渡って2代目社長を務めた。1915年、都ホテルの社長に就任。共同銀行、関西鉄道などでも活躍した。

政界にも地歩を築き、1893年に衆議院議員に選出。以降当選8回を数える。この間に桂太郎の新党構想に関与して所属の立憲国民党の分裂を引き起こして桂新党(立憲同志会)に参加、後に後身の憲政会総務を務める。第2次加藤高明内閣にて、商工大臣として初入閣。第1次若槻内閣で大蔵大臣を務める。

東京シティエアターミナル

かつては日本航空やユナイテッド航空、エールフランス航空などの主な航空会社の搭乗手続きや出国審査の手続きが可能だった。元々、それを目的に造られたのだった。

ところが2001年のアメリカ同時多発テロ事件発生直後、FAAの通達によって出発空港以外では北米線の搭乗手続きが不可となり、出国手続も搭乗手続が必要なため不可となった。

これでリムジンバスの運行以外に業務がなくなり、今は各種店舗やレストランが入っている。

そうした訳で、今は閑散としている。

三ツ矢サイダー

三ツ矢サイダーが販売開始されたのは、何と明治17年の事だった。

随分長い歴史を持っている。

当初の名称は、「三ツ矢平野水」だ。

これは夏目漱石の「行人」等にも登場する。

1984年に販売100年を機に、ラベル等に記載のMITSUYA CIDERの書体が現在のものとなった。

三ツ矢サイダーに歴史あり、だ。

田舎

経済に閉塞感が漂う様になると、田舎ブームが巻き起こる。

安らぎを求めての事だろう。

自然の中に真実を見つけたくなる。

自由な市場経済の行き過ぎによる、環境問題。

ここから目をそらさずに、地域回帰、地元回帰が果たす効果は計り知れないものがあるだろう。

缶詰

缶詰は戦争における食品問題に頭を悩ませていたナポレオンが、新鮮なまま保存する方法の発明に懸賞をかけた事により、発明されたのだと言う。

日常時においても、保存のきく缶詰は大変長宝なもの。

必要に迫られて発明は生まれる。

日本では明治4年に、イワシの油漬けをフランス人から教わってつくり、その後鮭缶が工場生産によってつくられていったそうだ。

今では当たり前の様に沢山の缶詰があるのも、フランスが発祥だった訳だ。

語り継がれる

語り継がれる昔話は、教訓を含んでいて知恵になる。

古い話だからこそ、未来を見据えての含蓄に富んだものならそれは「今必要な話」になる。

そうなると、古いのではなく一転して新しくなっている。

歴史はどんどん続いていく。今後も語り継がれる物語は増えていくのだ。

 

その前は

メジャーリーグは発足当初、ナショナルリーグと呼ばれていた。

今でこそ幅広い人種のメジャーリーガーが居るが、当時はやはり白人のもの。

そこで、黒人によるニガロリーグというのも登場した。1920年代から1940年代にかけて盛り上がったという。

更にはメキシカンリーグもあった。

それぞれが肌の色を誇りにし、独立した団体だった訳だ。

12月4日

ディープパープルの代表曲、スモークオンザウォーター。

その歌詞の元になったのが、フランク・ザッパのコンサートで、観客が撃った照明弾により火災が発生した事件。

それが起きたのは、1971年の今日、12月4日なのだ。

思わぬハプニングから、名曲の詞が生まれた。

もしこれがなかったら、六弦3フレットから始まるあの曲にどんな詞が乗ったのだろうか。